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はじめのいっぽ

はじめのいっぽ

父との思いで


明日は父の日なんですね
私の父はもう今は亡き父なのですがせっかくホームページ作ったので父の事も書いておこうかと思います。
私の父は私が小さい時に事業に失敗して一時行方がわからなかった時がありました
その頃の私はまだ小さく母の気持ちもいたわる事の出来ない子供でしたので記憶の中に汽車の中で三輪車に乗っていた覚えがあります。その頃は東京から父の実家に
戻っていたそうです。でもそこからの記憶がちょっとないのです。
覚えているのは東京都北区に住んでいたということ長屋のようなアパートで台所もトイレも協同ででも全然貧乏とかってまだわからなかったその頃の父はタクシー
の運転手でした。それから小学校1年生の時に転校して別の街に行きました。
その頃父は勤めていた会社がつぶれて慣れない営業の仕事をやりましたけれど・・
長続きせず個人タクシーの試験を受け合格しました。まだ私も小さく良くは覚えていないんですがバイクに良く乗せてもらった覚えがあります。
その頃成増と言う街にいて近所にとても恐いおばさんがいたことを覚えています。
そこには中学2年ぐらいいました。調度その頃高層団地が近くにできて母がずっと
申し込んでいたのでしょうかあたって引越ました。その当時は真新しい家がうれしくてでも中学はそこから通いました。朝5時に家を出て通う事の辛さは想像よりも
かなりつらかったですが・・高校はそんな理由から家から近いところと思いました
調度新しい高校が出来てそこを受けました。その頃父もまだ37歳くらいだったと思います。若いんですけど頭がはげていて年令よりも老けて見えました。体格もよく
家族で旅行に行くと周りの人が避けて通るんですよ。なんでかな~って思っていたんですけど父の風貌が雪駄はいてダボシャツきて腹巻してだから・・まちがわれてもしかたないんですよね・・性格は静かな人でしたけれど一旦怒ると手がつけられない人でした。ちなみに私は一度だけ思いっきり怒られた覚えがありますが・・
それはまぁ私が全面的に悪かったので仕方ないんですけど・・家がめちゃめちゃになりました。ギターは折れふすまは破けって感じでしたので・・家族が私を心配したみたいでした。でも父に怒られたのはそれだけでしたね。何をしたかって言えば
昼間は美容学校で学校が終わってから学費のタメにバイトを23:00位までやってたんですね。でも友達とも遊びたくてそれから遊ぶと遅くなるって感じで毎日帰りが遅かったんですよ・・何してたかってファミレスで話してただけですけど・・
それであるとき帰ったら父が玄関にあぐらをかいて待ってたんですね。
で謝れば良かったのに素通りしたもんだから・・髪の毛つかまれてギターで殴られ
なんかすごかったのだけ覚えてますよ。
でもその当時の私には父の気持ちがわかっていてもすぐ改善する事が出来なかった
それから父はボーリングに凝っていて確か中学生のころは良く大会とやらに出たような気がします。美容学校卒業してすぐくらいに私は家を出ました。美容室が全寮
制だったので女子寮に入りましたけど実は同期で青森から来た子に頼まれて入ったんですよね。男子寮の先輩が変な奴がいてその子が一人だと危ない目にあいそうになったらしんです。その先輩それからすぐ辞めさせられましたけど。
それからすぐのことでした父が倒れたのは心筋梗塞でした。自分で病院に行って
ロビーでぶっ倒れたらしく連絡が来た時は瞳孔があがり意識もなく親戚が集められました。もともと心臓が弱かったらしく・・今日が山場ですって言われたんですが
次の日父は復活したんですね。本当に良かった。何故ならまだ弟は小学生だったし
この続きは次回にします。ふ~疲れた・・・^^;
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